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2-10 前に

***10*** 

看護師が入ってきて、4人がかりで暴れる有芯を押えた。

「雨宮さん、落ち着いて~!」

「注射しますね~」

「やめやがれ! ・・・何の注射だ?!」

「安定剤ですよー」

安定剤・・・・・。

有芯は、それをうたれると再び奈落へ突き落とされる気がして、真っ青になって両腕を振り回しわめいた。

「やめろ! 俺はもうあの時みたいになりたくねぇ! その薬は嫌だ! やめろって言ってんだろ! このアマ、犯すぞ?!」

彼が目を剥いてそう叫んだ時、

ガツッ

頬に強い衝撃を感じ、有芯には一瞬何が起こったのか分からなかった。自分の顔の下に落ちているビデオテープと、車椅子の上で両肩を上下させている、ものすごく怒った顔の宏信を見て、今ここで起こった現実をようやく把握できた。

宏信がゼエゼエ息をしながら言った。「有芯・・・」

「あ・・・・あぁ?」

有芯は焦点の定まらない目で、宏信を見た。

宏信はキッパリと言った。「前に進むんだ」

有芯はあっけにとられた。「は・・・ぁ?!」

「今のままじゃ、辛いだけだ。お互い・・・というか、朝子さんも、有芯も」

今のうちにと、注射器を構えた看護師を宏信は睨んだ。「それは必要ありません」

「でも・・・」

「薬で治る病もあれば、薬のおかげで悪化する病もある」

「ひろ・・・のぶ」

看護師が諦めたように注射器を下ろすと、有芯の顔がだんだんと穏やかになっていった。「・・・サンキュ」

「いや」宏信は苦笑いをした。

看護師に退室を促し、宏信は有芯に右手を差し出すと明るく言った。「悪い。ビデオ、元に戻しておくよ」

「いいよ、このくらい」

「いや、僕が投げたんだ、僕がしまうよ」

「・・・・・サンキュ」

「何度も・・・お礼はいいよ」

宏信がビデオを棚に戻して振り返ると、有芯は両手で顔を覆っていた。

「・・・有芯。泣くだけ泣けばいいよ」

宏信は車椅子を操作し、ゆっくりと窓の方まで行って外を見つめた。有芯と同じ病院着を着た様々な患者達の談笑する姿が見える。宏信自身も、この病院には何度も入院した経験があり、ここにいるとその時の心境を、嫌でも思い出す。

「そして泣いたら、広い世界に目を向ければいい。君は、何かやりたいことがないのかい?」

有芯はのろのろと顔から手を離すとうつろな目で答えた。「・・・何も」

「そうかなぁ。そうは思えないけど」

宏信は振り返ると、にっこりと笑った。「君なら、きっと素晴らしいことができる」

「・・・・・」

「で、その中できっと、素敵な女性にも出会えるよ」




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